変わる富士 上昇続ける「森林限界」
富士山北ろくの河口湖畔にある畑の一角に、濃い紫色に熟したブドウの房が揺れていた。山梨県富士河口潮町で10月中句、赤ワインの原料となる「ピノノマール」が収穫された。地元の子供たちも手伝い、丁寧に摘み取った。
「果樹王国」の山梨だが、同町では10年前には見られなかった光景だ。標高870メートル前後。冷え込みが厳しく、果樹栽培には適さないとされてきた。ブドウ作りを試みて失敗した農家もあった。
同町の年間平均気温は1948年に10度を超えたことがあったが、9度台が当たり前たった。ところが、89年以降は一度も10度を下回っておらず、最近は11度を超える年も珍しくない。
遊休農地活用と観光資源発掘を模索していた町は94年、寒冷地に比較的強いというブルーベリーの栽培を試みて成功した。ブドウ、サクランボと広げ、2002年には地元農家によるブドウ生産組合を設立した。
約2ヘクタールの畑で収穫されたブドウから生まれたワインは、「河口湖ノワール」として売り出されている。堀内維貞組合長(81)は「最初は半信半疑だったが、温暖化に後押しされて夢が広がった」と話す。
標高2500メートルの5合目付近で山腹を一周する「御中道」。周辺には、枝が横に伸びたカラマツが目立つ。
山梨県環境科学研究所(富士吉田市)の中野隆志研究員(植物生態学)によると、樹木が密生する上限の「森林限界」に生えるカラマツの特徴だ。強風を遮る樹木もない厳しい環境にさらされ、まっすぐ生育しないためだ。
ところが、実際には御中道から約100メートル上まで樹木が密生、森林限界は徐々に上がっている。中野さんは「森林限界の上昇は、温暖化で加速された可能性がある」と話す。
ふもとから見上げる夏の東斜面は、日の出とともに、岩肌が絵の具を塗りつけたような赤に染まった。画題として知られる『赤富士』。長くて2分のショーだ。
「緑が上へ延びている気がする。いつか赤富士が見られなくなる日が来るのだろうか」。20年以上、富士を撮り続けている富塚晴夫さん(60)もこう感じる。森が上がれば、赤く染まる岩肌の面積は減る。
森林限界をはるかに超えた山頂近く。大小の溶岩が転がり、生命の存在を否定するかのような風景の中で、コケが溶岩に張り付くようにして生きていた。
ここには、ほかに南極でしか確認されていないバクテリアとコケの共存関係がある。バクテリアの一種のらん藻はヤノウエノアカゴケに付着し、適度な温度と湿度を保つ。コケは、らん藻が死んだ際に放出する窒素を養分に生きる。静岡大の増沢武弘教授(植物生態学)が7年前に発見した共存関係は、気温が低く養分に乏しい環境が生み出した。
らん藻の付着したコケは黒く変色する。ところが、今年8月に登った増沢さんは黒いコケが減ったことに気付いた。増沢さんは「山頂付近が暖かくなり、順境が穏やかになって、コケとらん藻の共存が崩れているのでは」とみる。
ふもとのブドウ畑から、山頂のささやかなコケの営みまで、植物の生態は変わりつつある。100年後の富士はどうなっているのか。日本一の弧峰は、温暖化の影響を見る格好の指標でもある。