営業日記

ソーラーパネルで涼しい夏を

2011年6月24日 金曜日

こんにちは、営業部香川です。

 

今日は、埼玉県熊谷市で39.8度(午後2時20分)を観測したそうです。
まだ梅雨も明けないというのに、39.8度とは・・・汗 汗 汗

 

そして、その関東地方では、東京電力管内の最大電力需要が、
ピークの午後2時に4389万キロ・ワットまで上昇したそうです。
東電の電力供給力は、最大4790万キロ・ワットで、
供給余力は一時、約9%までになったとか・・・ますます汗 汗 汗

 

節電のためにと我慢をし過ぎて、熱中症になることがありませんよう、
適宜冷房をおつけいただき、無理のないようにお過ごしくださいませ。

 

そして、冷房以上におすすめなのが、ソーラーパネルの設置です。

 

現在普及しているものは、
屋根の上にパネルを置くタイプのものがほとんどですが、
それだと屋根の上にもう一枚屋根が載っていることになりますので、
夏の太陽の熱を二重でシャットアウトしてくれます。

 

もちろん、冬は冬で、冷気をシャットアウトしてくれます。

 

結果的に、無理に我慢をしなくても、余裕で節電ができちゃいます!

 

真夏の電力不足がますますリアルになってきた今日この頃です。
みなさまのご家族のご健康のためにも、
太陽光発電をおすすめしていきたいと思います。

辞めようが辞めまいが

2011年6月23日 木曜日

 

「自然エネルギー法案をぜひ通してください。辞めようが辞めまいがとにかく言いたいことどんどんやって、どんどん国民に訴えてください。福島県は全県避難しなければ­駄目な状態になっている思います」

 

 

 

いま起きていることを「自分のこと」として受け止め、
妄信せず、
鵜呑みにせず、
過信せず、
依存せず、
自らの思考、想念、感情を隅々までチェックし、
検証確認を細部まで徹底的に行なっていこう、
と思います。

 

それは、
お客様に「太陽光」についてお伝えするのも
同様です。

 

ただ「いいです」というのではありません。
太陽光に携わって、自分がどんな経験をしたか、
あるいは、既設のお客様がどんな経験をされたか、
リアルな情報をお伝えしていきたいと思います。

 

そして
「なぜできないのか」ではなく
「どうしたらできるか」を追求していきます。

でんきを消して、スローな夜を

2011年6月22日 水曜日

私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。
夏至・冬至、夜8時から10時の2時間、
みんなでいっせいにでんきを消しましょう。
ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。
それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見する
プロセスであると私たちは考えます。
一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、でんきを消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。

 

でんきを消して、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイト。
http://www.candle-night.org/jp/

 

 

今日は一年で一番昼間が長い、夏至です。そろそろ帰って、ろうそくの明かりを楽しみます!

つまんねぇ冒険なら おれはしねぇ by ルフィ

2011年6月21日 火曜日

「宝がどこにあるかなんて聞きたくねぇ
 宝があるかないかなんて聞きたくねぇ
 何もわかんねーけど
 みんなそうやって命がけ海へ出てんだよ
 それをおっさんから何か教えてもらうなら
 おれは海賊を辞める
 つまんねぇ冒険なら おれはしねぇ」

 

「やれるか 君に
 グランドラインは まだまだ君らの想像をはるかに凌ぐぞ
 敵も強い
 君に この恐怖の海を支配できるか?」

 

「支配なんかしねーよ
 この海で一番自由な奴が海賊王だ」

 

 

ふと頭をよぎった、漫画『ワンピース』の一場面。
自分のこの人生も、冒険だと思いました。

 

自分にとっての「宝」とは、太陽光をはじめとする
自然エネルギー中心の社会の実現。

 

その「宝」を目指して、命がけで海へ出ています!

 

楽ではない、波乱万丈な毎日です。

 

でも「つまんねぇ冒険なら おれはしねぇ」です!!

歴史と花のまち「ひまわりの里」

2011年6月20日 月曜日

諏訪市中洲神宮寺の住民有志の皆さんでつくる「神宮寺花の里の会」。諏訪市立博物館隣の休耕田を活用して「住民の憩いの場と諏訪大社上社本宮前の景観づくりに」と、6年前からひまわりを栽培されています。休耕田は2500平方メートルほどで、弊社本社駐車場にも隣接しています。

 

 

炎天下の下、手入れをされる同会の皆さん(6月14日)

 

 

 

 

 

今年も5月下旬、地元の園児や小学生の皆さんが種をまきました。先日6月14日も会の皆さんが手入れをされ、ひまわりは順調に育っています。「地域を愛する心を守り、育て、つなげる」。地域の方々が手づくりで育む「ひまわりの里」は、諏訪市中州に生き、縷々脈々(るるみゃくみゃく)と受け継がれる熱い心意気。本当に素晴らしいですね!

 


広場には観覧用やぐらも立ちます

 

 

 

 

 

 

 

 

看板も手づくりです

 

 

 

 

 

 

 

ひまわりがすくすくと育っています

 

 

 

 

 

 

例年7月中旬にはひまわりが咲き始め、下旬に5000本以上の大輪のひまわりが咲く光景はまさに絶景です。
諏訪大社上社本宮の参拝と一緒に、風に揺れるひまわりの花を観覧用のやぐらの上から眺められます。一面に黄色いひまわりが咲く光景が今から楽しみですね!
「神宮寺花の里の会」の皆さんの地道な日々の活動に心から敬意を表します。

こころから発せられる言葉

2011年6月20日 月曜日

前にもここでお伝えいたしましたが、先週の日曜日、
自然エネルギーに関する「総理・有識者オープン懇談会」が行われました。

 

中でも、何も用意をしてこなかったという
岡田武史元サッカー日本代表監督の言葉が、こころに響きました。

 

 岡田元監督の言葉:

 

 ・便利を追求してきたいままでを反省をすべき。
 ・世界人口が70億人、このまま100億人になろうとしている。
 ・いまのままで、地球が持つはずはない。
 ・原発の廃止
 ・自然エネルギーへの方向転換をすべきときである
 ・日本はすでに技術をもっている

 

いろいろなデータを駆使したプレゼンも、もちろんとても重要なのですが、
岡田元監督の発言のように、
本当にこころから憂慮している言葉がもっている力は、
とても強いと感じました。

 

くわしくはこちらから、全てをみることが出来ます。

 

 ↓ ↓ ↓
 http://www.kantei.go.jp/live/20110612.html

 

すでに開催された懇談会の動画は【こちら】をクリックしてみてください。

善知鳥峠

2011年6月19日 日曜日

こんにちは。営業の香川です。

 

東京生まれ東京育ちのわたしにとって、お客様先を訪問させていただく機会はそのまま、
(小さな)観光の旅でもあります。
車を運転しながら、横目で間近に迫る山々や森を眺めていると、
このような環境の中で働かせていただけることに、ものすごいしあわせを感じます!!

 

先日は、塩尻と辰野の境にある『善知鳥(うとう)峠』の近くを通りました。

 

善知鳥を「うとう」と読むということは、謡曲に「善知鳥」という演目があるので知っていましたが、
実在する海鳥の名前であることは、今回はじめて知りました。

 

そして、帰社してから、善知鳥について少し調べてみたところ、こんなことがわかりました。

 

地元に伝わる善知鳥(ウトウ)と猟師の民話
『猟師が北国の浜辺で珍しい鳥の雛を捕らえ、息子を伴い、都に売りに行った。
 親鳥はわが子を取り戻そうと「ウトウ、ウトウ」と鳴き、猟師の後を追い続けた。
 やがて猟師親子は険しい峠道に差し掛かり、さらに激しい吹雪に見舞われた。
 吹雪のなか無理に峠を越えようとする猟師に、親鳥もなお追い続ける。
 地元の村人たちには吹雪の中ずっと「ウトウ、ウトウ」と鳴き続ける鳥の声が響いたという。
 やがて猟師は激しい吹雪のなか力尽き、峠を越えること叶わず、その地に果てた。
 吹雪の収まったあと村人たちが峠に出ると、
 泣きじゃくる息子とわが子をかばように覆って死んだ猟師の姿があった。
 またすぐ脇には、同じように鳴き続ける雛鳥と子をかばうように覆って死んだ親鳥の姿もあった。
 どちらも、命を賭してわが子を吹雪から守ったのであった。
 村人たちはその鳥が善知鳥(ウトウ)であると知って猟師とともに手厚く弔い、
 その地を「善知鳥峠」と呼ぶようになったという』

 

能の大家世阿弥が作ったとされる謡曲「善知鳥」では、この民話のその後とされる話が描かれています。
『諸国一見の僧が陸奥(青森県)の外の浜に行く途中、越中(富山県)の立山に立ち寄る。
 山上の地獄さながらの有様を見て、その恐ろしさにおののきつつ下山すると、
 麓で一人の老人に出会う。
 老人は、「陸奥へ行くのであれば、去年の秋に死んだ外の浜の猟師の家を訪ねて、
 蓑笠を手向けるよう伝えてほしい」と頼む。
 そして証拠にと、老人は着ていた麻衣の片袖を解いて渡し、僧が立ち去るあとを
 見送りつつ姿を消す。
 僧は外の浜の猟師の家を訪ね、妻子に老人の伝言を語る。
 妻は驚きつつも亡夫の形見の衣を取り出し、僧が預かった片袖を合わせてみると
 ぴたりと合う。
 やがて僧が蓑と笠を手向けて回向していると、猟師の霊が現れる。
 亡霊は、後世の報いも忘れて殺生に明け暮れ過ごした在りし日を語り、
 諸鳥の中でも親子の愛情が深いと言われる善知鳥を殺した罪を懺悔する。
 冥土で化鳥となった善知鳥に追いかけられ地獄の責め苦を受ける様を見せ、
 どうか自分を助けてほしいと僧に弔いを頼みつつ亡霊は消え失せる』

 

毎日が新しい発見です!
ぜひたくさんのお客様にお呼びいただき、小さな旅を更新すべく(もちろん、太陽光の普及をメインに!)
はりきってまいります。

 

あっとホームリフォームイベントに参加

2011年6月19日 日曜日

今日は、上伊那郡南箕輪村にある住宅会社の「あっとホーム」さんのリフォームイベントに参加させていただきました。
http://www.atto-home.co.jp/event/event.html

 

 

「あっとホーム」さんは、お客様満足度No.1を目指して「楽しく建てて楽しく暮らす、オール自由設計の家造り」を実践されている地域密着の住宅会社さんです。
弊社とは業務提携をいただいています。

 

 

あっとホームさん、各協力会社の社員さんのアイディアでブースが出展されました。

 

あいにくの曇り空でしたが、ご来場いただいたお客様は太陽光発電についての関心が高く、弊社の東日本大震災キャンペーンにもご応募をいただきました。
http://www.n-roof.co.jp/special/

 

 

お名前のとおり、アットホームなイベントで楽しく参加させていただきました。

 

明日も参加させていただきますので、上伊那地域の皆さん、どうぞご来場ください!

 

日本ルーフのスタッフ一同も、心からお待ち申し上げます。

 

 

木に見守られて

2011年6月18日 土曜日

先日,ご契約いただいたA様はインターネットを通じて弊社に見積もりを依頼されました。

 

メールが届くとすぐにKさんが一次対応メールを送り,業務のTさんが現地に行って調査し,私にバトンタッチされました。
現地を見てきたTさんが,隣の家の影が屋根にどこまでかかるか確認し,また,木の影がかかるため,その木を伐採することをA様と相談してきました。

 

普段私たちが各家を見て回って太陽光発電の話をするときには,屋根に木の影がかかる家は選びません。しかし今回のようにお客様から申し込まれた場合には,太陽光発電を設置するためには木を伐採することもやむを得ません。
砂漠に木を植えに行った事がある私にとって,木を切ることはできる限りしたくありません。砂漠の木も日本の木も地球にしてみれば同じ大切な一本の木なのです。

 

A様との契約はなかなか進みませんでした。「他社と比較したいからその見積もりが届くまで待ってほしい」と言われ,そろそろ届いたころかと電話すると「他のメーカーも検討したいから」とまた伸びていきました。

 

依頼されてから1ヶ月ほどたった頃でしょうか,私はふと「もしかしたら木が悲しんでいるかな?」と思いました。
そこで目を閉じてその木をイメージし,「ごめんね,君を切らせてもらいたいんだ。太陽光パネルをつけると君の何百本分もの働きをしてくれるんだよ」と語りかけました。

 

その後,社長が直接A様に電話して契約していただけることになりました。契約の日,私は社長に「木にお詫びをしてきます」と言って出かけました。

 

A様の家に着くと,なぜかその木の脇に置かれている外のテーブルに案内されました。私はすぐにその木に手を当ててお詫びをしました。

 

切られてしまう運命にあるその木に見守られて,A様に契約書を書いていただくことができました。

 

村上春樹氏 カタルーニャ国際賞受賞スピーチ

2011年6月17日 金曜日

6月9日、スペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された、作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿の一部を、以下に転載させていただきます(原文のまま)。ちょっと長いですが、ぜひみなさんにも読んでいただきたいと思います。
3月11日からはや3ヶ月経ちました。正直、すでに記憶が薄れている部分もあります。でも、どんなに時間が経っても、決して忘れてはいけないことがある、と、しみじみ思いました。

 

以下転載——–

 

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

 

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 

 理由は簡単です。「効率」です。

 

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

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